教育社会学・社会教育学専攻 1966年卒
1 感激!50年ぶりの恩師のレクチャー
2016(平成28)年6月28~29日、仙台市秋保温泉「蘭亭」を会場に恩師佐々木徹郎先生を囲む「苗床有志の会」があった。「苗床」とは、私の学んだ教育社会学・社会教育学専攻の「室報」(研究室と卒業生をつなぐ会誌)に由来し、当時の主任教授竹内利美先生の命名と聞いている。
会には、恩師佐々木徹郎先生をはじめ仙台を中心に東京・山形等から同窓生16名が参加、久方ぶりの再会で大いに盛り上がった。圧巻は、今年92歳になられた佐々木先生が、ご自分で作成された「東北大学教育学部(教育社会学専攻)の歩み」をパワーポイントを駆使され、50年前と変わらぬ迫力で一時間超にわたって講義をされたことであった。教育と学問追及への情熱はいささかも衰えておらず、迫力と含蓄のある内容に教え子一同感服・感激を新たにした。その後の懇親会は、まさに半世紀前にタイムスリップした感じでの宴会となり一層楽しいものになった。さながら熟年パワー全開の情景だった。
2 叩き込まれた基礎・基本(学生時代)
思い起こせば私が在学したのは1962(昭和37)年から1966(昭和41)年の4年間、日本経済は高度成長真っ只中であり、世の中に活気があった。
(東北大学史料館所蔵)
教養部時代(1・2年)は川内校舎(米軍兵舎施設跡)で、学部(3・4年)は片平丁校舎で学んだ。特に片平丁校舎での2年間は、3・4年生と大学院生が同じ研究室に同居し一緒に過す機会が多かった。時には、実社会で活躍されている同窓生が遊びに訪れる等、様々な先輩から陰に陽に色々なことを教えられた。演習授業では、約一週間程の日程で各地に宿泊調査に出かける等、何かにつけ打合せ・激励会・反省会等の会合が多く、常に活気と議論に満ち溢れた研究室であった。
(東北大学史料館所蔵)
「現場のことは現場に聞き答えを出せ」、実証研究を重視する研究室の大事な教訓の一つである。長幼の秩序や社会的仕来りを大事する習慣から人間関係の築き方まで、正規の授業では学べない実社会で役立つものの考え方や行動パターンを徹底的に叩き込まれた。お蔭で、「主体的に物事に立ち向い、実践し、検証を踏まえて確認する」等、社会に出てからの私の生き方のバックボーンはこの時期に鍛錬されたと思っている。
恩師及び諸先輩の指導には今でも感謝している。
3 真剣勝負に明け暮れたサラリーマン時代
1966(昭和41)年4月、卒業と同時に教科書出版の東京書籍㈱に入社し社会人のスタートを切った。営業という業種柄、各地に出張し人と会って商談を進めるのが生業となった。その際、学生時代に先輩から叩き込まれた経験が大いに役立ったことは言うまでもない。その気になればどんな逆境にでも耐えられると本気で思えた。
私の専攻した教育社会学・社会教育学の同期は13名であるが、就職先は、大学勤務3名、高校教員2名、出版社3名、金融・損保2名、その他3名と多様である。他の学年でもほぼ同様の傾向であった。
「苗床」第1号(昭和37年)に竹内利美先生の次の一文がある。「ずいぶんいろいろな畑に移植されたが、どこでもだいたい根づいて本物になりかけているのが多いのはご同慶の至りである。とかくいろいろな苗が育ったものである。しかも、かなりの悪条件に耐える頑丈なものが多かったようだ。自力で伸びるたちのものが多かったからとも言える。」苗床の管理者たる恩師の自主性を尊重する教育観と実に細やかな愛情が感じられる。
東京書籍では営業一筋で36年、子会社の東京書籍印刷(現・㈱リーブルテック)で7年、常に全力で仕事に向き合ってきたつもりである。背景に大学時代に培われた「現場第一主義」と「我以外みな師」の精神に支えられたことは言うまでもない。経営に携わる立場になると一層その気持ちが大事であり大いに助けられた。正に、人との出会いが私の活力源であり「人生は出会いである」と思う所以である。
4 昨今の教育学部について
我が東北大学教育学部は、1949(昭和24)年5月、宮城師範学校を包摂する形で創設されたのがスタートであり、爾来67年が経過した。戦前教育の反省に立ち、視野の広い教員養成のため「大学で教員養成を行う」理念の実現を目指した。しかし、時代の要請を受ける形での文教政策と絡み、数度の学部改革が行われ今日に至っていると聞く。
私の記憶の中での大きな出来事は、在学中に実施された1965(昭和40)年の教員養成課程の分離と宮城教育大学設立を巡る動きであった。
連日のように学内集会が開かれたり、頻繁に分離反対のデモが行われ、学内は騒然とした雰囲気に包まれていた。しかし、決定は覆ることは無かった。大きな挫折感を味わったことを今でも覚えている。以後、教員養成課程は東北大学から切り離され宮城教育大学として独立し、教育学部は教育学科と教育心理学科の2学科構成となった。
近年では、国立大学法人化の動きに合わせ様々な改革が進行しているようだ。1998(平成10)年、4月には大講座制が採用され、1学科5大講座(人間形成論、教育政策科学、成人継続教育論、教授学習科学、人間発達臨床科学)となり現在の教育学部の姿に繋がっていく。
こうした一連の動きの中で、我々苗床の仲間が集まると、決まって、「教育社会学・社会教育学専攻は無くなってしまったのか?」、「我々の後輩は何専攻になるんだ?」といった話題が出る。みなかつての古巣の動向に関心を持ち、心の繋がりを求めている事が痛いほど分かるのである。
私は現在、教育学部関東地区同窓会長を務めているが、悩みは新規会員の発掘である。首都圏では約450名の同窓生が関東地区同窓会に加入しており結束は強いと思っているが、如何せん高齢化の進展で先行きが心配である。更に2000(平成12)年卒業の方を最後に以降の加入者がいないことも懸念される。対応策として、2年毎の総会・懇親会開催や毎年発行する会報「きょうかん」(教育学部HPで閲覧可能)等で広報に努めているが十分でない。本部・仙台支部・関東支部が連携して同窓会の存在意義をアッピールする活動の強化が一層重要と考える。
こうした状況の中で特筆すべきことは、本部と仙台支部が連携して始められた事業(「現役学生への海外学会発表渡航費援助」、「OB・OGと語ろう会」援助等)である。時間はかかるにしても、必ずや現役学生の同窓会理解の促進と相互コミュニケーションの強化に資するものと確信する。関東地区同窓会でも協力を含めて検討したいと考えるところである。
5 「後輩諸氏への期待」、むすびに代えて
ここまで、「熟年世代の冷や水」と茶化さず、お付き合いいただいた後輩の皆様には心から感謝します。最近の正確な状勢や皆様の置かれている環境も把握せぬまま、かつての思い出に浸り、思いつくまま勝手気ままなことを書き連ね、汗顔の至りであるがお許しいただきたい。
現在、皆様は、当面の学習・研究に打ち込んでいる最中と思います。進むべき目標が既に決まっている方、まだ定まっていない方、考えてもいない方、様々だと思います。まだの方も焦ることはありません。ただ、早めにしかるべき方に相談することをお勧めします。その際、一つ確信を持って言えることは、「熟年世代には経験の蓄積がある」という事です。先輩方はそれぞれ、それなりに授業料を払って経験を積んできているのです。悩み事や相談事には遠慮なく先輩方の力を借りましょう。
仙台支部・関東支部の同窓の先輩方には、いろいろな知識・人脈・技量をお持ちの方が多数おり、喜んで皆さんの力になってくれるはずです。チャレンジ精神を持ち続け、日々努力を積み重ねれば必ず報われます。
後輩諸氏のご健闘と存分のご活躍を心から期待いたしております。
(2016年8月)
星 永 揚 (ほし ながあき)
1943年 宮城県多賀城市生まれ
1966年 教育学部教育学科教育社会学・社会教育学専攻卒
1966年4月教科書出版の東京書籍株式会社に入社・営業局勤務、東京支社長・常務取締役を経て、2003年系列会社の東京書籍印刷株式会社(現・㈱リーブルテック)代表取締役社長・2009年退任し現在に至る。退職後は、健康維持のために始めたウォーキング・太極拳に勤しむ傍ら、水彩画にはまり多忙な日々を過ごす。同窓会では、東北大学教育学部関東地区同窓会会長を務めている。