〔新モンゴル高等学校と東北大学〕
新モンゴル高等学校の創始者で校長の、ジャンチブ・ガルバドラッハ先生(以下、ガルバドラッハ先生)は、1995年の10月に日本政府の国費留学生として、半年間、東北大学で日本語を学んだ後、1994年の4月から山形大学の研究生、その後、大学院の修士課程学生となって、1999年の4月に東北大学大学院・教育学研究科・教授学習科学研究コース(カリキュラム論)の博士課程学生となりました。
当初、山形大学の1年間の研究生生活を経て帰国予定でしたが、日本の教育に関心を持ってきたこと、山形での出会いによって多くの人たちと「日本式の高等学校」の設立の夢を抱いたことで、東北大学での学びを選んだのです。
以後、東北大学の教育学研究科は、理論面・研究面だけにとどまらず、多様な側面から新モンゴル高等学校を支援し、実際に多くの人材を育てるという大きな社会貢献を行ってきました。
〔カリキュラム改革支援〕
先にも述べたように、東北大学教育学研究科のカリキュラム論講座は、さまざまな面で新モンゴル高等学校の支援を行ってきました。さらに、その支援は、新モンゴル高等学校だけにとどまらず、広くモンゴル全体のカリキュラム改革に影響を及ぼしてきました。
写真は、2009年の6月19日に、カリキュラム論の谷口准教授が、モンゴルの国立教育政策研究所と私立学校協会に招かれてカリキュラム政策改善のための講演を行っている様子です。この提言を受けて、モンゴルの国立教育政策研究所と私立学校協会は、より穏やかなカリキュラム政策の移行措置と、教員養成の実態をかんがみて5-4-3制の導入を決議し、モンゴルの国会に提言しました。
〔受験生の訪問受入れ〕
また、東北大学の教育学研究科は、新モンゴル高等学校の生徒との交流も行っています。
新モンゴル高等学校の卒業生のうち、相当数の国費留学生はそのまま4月に来日しますが、私費留学生は2月頃から日本の各地の大学を受験するために段階的に来日します。受験生は、当初は、先に来日し現在日本の大学に通う先輩の家に分散して泊まりますが、3月から1月ほど、宮城・山形の支援者の支援を受け、仙台市内で共同生活を行います。すなわち、仙台をベース基地にして、全国に受験に旅立つのです。
この仙台滞在中にいくつかのイベントもありますが、そのひとつに「東北大学訪問」があります。東北大学は日本でも有数の大学であり、何よりもガルバドラッハ先生の母校でもありますから、受験生はその訪問を楽しみにしています。大学では、国際担当の副総長や教育学研究科長を表敬訪問したり、大学生と交流をしたり、大学のミニ講義を受けたり、東北大学の最新の設備を見学したりします。受験生の楽しみのひとつに「東北大学での食事」と「谷口准教授の家への訪問」があります。受験生たちは、仙台で共同生活を送っていますので、ケーキなどの嗜好品は、食費から真っ先に削ります。しかし、食べたいさかりの高校生ですから、この日だけは、甘いケーキや肉類を思いっきり食べて英気を養います。
〔物的支援の仲立ち〕
東北大学は、これまで学問的支援だけでなく、物的にも新モンゴル高等学校や広くウランバートル市の学校への物的支援の仲立ちをしてきました。さまざまな学校で使用しなくなった何千もの机や椅子、図書館用の仕切りつきの閲覧机、コンピュータやプリンタ、運動具や理科実験用具などの物的な支援の仲立ちを行ってきました。これに対して、モンゴル文部科学文化大臣やウランバートル市教育長からも感謝の意を表わしていただいています。
いくつかの高校からは、使わなくなった制服を寄贈しています。新モンゴル高等学校の制服は、さまざまな日本の学校の制服の中から、自分の気に入ったものを選んでいるようです。
〔日本語教科書の作成・配布〕
これは、「もんにちプロジェクト」というプロジェクトで、教育学部の学生を中心としてモンゴルの中学校で使用する日本語教科書を開発したものです。
きっかけは、新モンゴル高等学校から「日本語教科書が足りなくて数人で1冊使用している」という状況の中で、寄付の可能性を打診されたことにありました。日本語教科書は平均2000円ほどで、貨幣価値が10倍程度ちがうモンゴルでは非常に貴重なものとなります。しかしながら、寄付をすると、例え20万円集めても、100冊しか買えず、中学生や高校生が使うと、1学年分の教科書にもなりません。そこで、自分たちが日本語教科書を作成し、「改変不可・複写可」の形で提供すれば、自由にコピーして使用できる、と考えたのです。
教科書のイラストも学生さんによる現代的なものに大幅に改編し、また、仙台に関わるイラストは正確に描写を行いました。さらに、複写することを前提にし、すべてのイラストに色を用いず、線画中心の教科書としました。
いつか、この教科書で勉強したモンゴルの、そして世界の学生さんが仙台にやってきて、教科書のイラストや「このバス停から 7番目で 大学に つきます」が全くその通りだったことに気づいて、びっくりするなんて、ちょっと楽しい社会貢献だとは思いませんか?